「最も多く人間の命を奪う生き物」との戦い
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地球上で、最も多く人間の命を奪っている生き物をご存じでしょうか?
毒ヘビ?ワニ?サメ?ちがいます。圧倒的に多くの命を奪っている生き物は「蚊」です。下記の図は、世界保健機構(WHO)などの統計をもとに2014年に作成・発表されたものですが、蚊は年間72万5千人の命を奪っており、2位の人間の47万5千人や蛇の5万人を大幅に引き離しての1位となっています。
蚊は、黄熱病・デング熱・ジカ熱など、命に関わる重篤な症状を起こしえる複数の伝染病の媒介となりますが、最も大きな問題はマラリアです。
マラリアは、マラリア原虫をもった蚊(ハマダラカ)に刺されることで感染する病気で、1~4週間の潜伏期間をおいて、発熱、嘔吐、筋肉痛といった症状があらわれます。世界中で年間2億人を超える人がマラリアに感染しているのが現状です。マラリアを引き起こす原虫には、熱帯熱マラリア原虫、三日熱マラリア原虫、四日熱マラリア原虫、卵形マラリア原虫、サルマラリア原虫と5つの種類がありますが、人間の命を最も脅かしているのが「熱帯熱マラリア原虫」と「三日熱マラリア原虫」です。
地域的には、熱帯・亜熱帯地域に広く発生し、世界約100カ国で流行しています。下図は、WHOのWorld Malaria Report 2019からの引用で、1000人あたりの感染者数ですが、サハラ以南のアフリカを中心に主に発展途上国で流行していることがわかります。
途上国、特に医療水準が高くない国では国民の命を脅かす存在であり、また、有効な予防手段や特効薬がない(予防薬はあるものの副作用が強い)ことから、観光開発の面でも障害となり、企業が経済活動を行うにも安全配慮の面でハードルが上がってしまうことになります。例えば、アジアのビジネスハブであるシンガポールでは、マラリアやデング熱の流行によってその国際的な地位が脅かされないよう、徹底的な殺虫剤の散布や、蚊が繁殖する水たまりを放置した住民にペナルティを課すなど、抑え込むことに多大なコストを払っています。
日本にとっても対岸の火事ではありません。気候変動による温暖化が進む中で、衛生状態の良い日本ではマラリアの流行の可能性は低いとされますが、例えば都市型の蚊が媒介するデング熱などは感染者が増加する可能性は十分にあります。また、旅行や出張で流行国を訪れることになれば、直接的なリスクにさらされることになります。
しかし一方で、こうして人類の脅威となっている「蚊」と戦うテクノロジーも続々と登場しています。
①Google関連企業による不妊蚊のプロジェクト
米国Googleの親会社であるアルファベット社傘下のライフサイエンス企業「ベリリー(Verily) 」は、ジカ熱やデング熱のウイルスを媒介するネッタイシマカを駆除するプロジェクト「Debug Project」を展開しています。このプロジェクトでは、研究所で人工的に生産した不妊蚊(交尾したメスの卵が孵化しないようにするバクテリア「ボルバキア」を持たせたオス)を放すことによって数を減らす方法です。オスにバクテリアを持たせるだけで遺伝子操作はされておらず、生態系への想定外の影響は避けられるようになっています。
2020年4月に「Nature Biotechnology」に発表された論文によると効果を上げており、2018年に米国カリフォルニア州フレズノで実施したプロジェクトでは、293ヘクタールの土地に1440万匹の不妊蚊を放ち、蚊のピークシーズンに95.5%減を達成したということです。
②花王による蚊が忌避する肌表面を作る技術
日本企業の花王も、蚊を媒介とする感染症から人々を守る技術を開発しています。2020年12月9日に発表されたニュースリリースによると、花王は様々な表面に対して蚊がおりたつ挙動をハイスピードカメラで観察した結果、低粘度のシリコーンオイルが蚊の脚に接触した場合、短時間で脚に濡れ広がり、これを蚊が嫌がることを発見しました。蚊は、肌に降り立つと、足先を使って体勢を安定させ、その後に吸血行動を始めるため、安定させる前に忌避行動をとる(飛び立つ)ように導ければ、結果的に蚊に刺されることが防げるというわけです。
ヒトの肌を用いた試験においては、何も塗っていない場合、とまった蚊のうち平均85%が吸血行動を示したのに対し、低粘度のシリコーンオイルを塗布した場合は、平均4%の蚊しか吸血行動を示さなかったとのことです(下図)。花王は、この新たに発見された作用機序を持つ技術をもとに、蚊から肌を守るアイテムの開発につなげていくとしています。
③ZzappMalariaによる殺虫剤散布作業の効率化
最後に紹介するのは、イスラエルのスタートアップ企業「ZzapMalaria」です。ZzapMalariaのソリューションはモバイルアプリによって提供され、蚊が繁殖する水場を見つけ、殺虫剤を散布する現場作業員をサポートするものです。ZzapMalariaのシステムは、人工知能(AI)を使い、衛星画像からもっとも影響を受ける人々が住むエリアを特定します。そして地形データ、レーダー、衛星マルチスペクトル画像を使って、水場のある可能性がある場所をヒートマップで表します。
そうした情報に基づいて殺虫剤の散布作業を行うことで、効率よく仕事を進めることができます。リソースが限られた中で、闇雲に散布するのではく、AIで弾き出した解析結果を使うことで効率を高めるアプローチは堅実かつ有効な方法だと考えられます。ZzapMalariaは、IBMが開催したAI技術に関する「IBM Watson XPRIZE “AI for Good”」チャレンジのファイナリストにも選ばれ、今後の開発にも期待がかかります。例えば、ドローンによる散布を組み合わせることでより効率が高められるかもしれません。
世界の殺人事件の犠牲者数は46万4000人(2017年)、戦争・紛争・テロの犠牲者が11万5千人(2017年)、交通事故死者が135万人(2019年)・・・こうした数字と比べても蚊による死者70万人を超えるという事実は非常に重たく、人類にとって大きな課題だと考えます。 それぞれアプローチは全く違うものの、この難しい課題を克服しようとするテクノロジーが世界各地の有志によって開発されていることを心強く思います。
(根来 諭)
August 04, 2021
参考情報
This startup is using AI to eradicate malaria (The Next Web)
https://thenextweb.com/neural/2021/02/17/zzappmalaria-startup-app-ai-eradicate-malaria/
Mosquitoes – one of the deadliest animals in the world (Kristin Urdahl)
https://www.gard.no/web/updates/content/22915020/mosquitoes-one-of-the-deadliest-animals-in-the-world
World malaria report 2019 (WHO)
https://www.who.int/publications/i/item/9789241565721