ホルムズ海峡封鎖が日本の製造業サプライチェーンに与える影響

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2011年の東日本大震災から、本日で15年となります。犠牲になられた方々のご冥福をお祈りするとともに、今もなお復興に歩まれる皆様へ心より敬意を表します。私たちは事業を通じて、より安全で安心な未来を築くべく、これからも尽力してまいります。

1. はじめに——なぜ日本の製造業は特別に脆弱なのか

2026年2月28日、米国とイスラエルによるイランへの軍事攻撃を契機に、ホルムズ海峡は事実上の封鎖状態に陥りました。商船三井・日本郵船・川崎汽船の邦船大手3社はいずれも通航を停止し、日本船主協会によれば、ペルシャ湾内に多くの日本関係船舶が足止めされています。そのうち約3分の2が原油タンカーまたはLNG運搬船です。

日本が中東にこれほど依存しているのは、2022年のロシアのウクライナ侵攻後に日本がロシア産原油の輸入を事実上停止したことも大きな要因です。その結果、原油の中東依存度は2025年に約94%にまで高まり、ホルムズ海峡を経由した原油輸入量は9割に達する構造が固まっていました。また、問題は原油・LNGだけではありません。日本の製造業を支える化学産業の根幹原料「ナフサ」もまた中東からの輸入に大きく依存しており、この点が今回の封鎖で一段と注目を集めています。

2. ナフサ問題——石油化学業界を直撃する「見えにくい急所」

ナフサとは、原油を精製する際に得られる炭化水素の混合物で、石油化学産業の最も基本的な原料です。ナフサを高温の分解炉で熱分解すると、エチレン・プロピレン・ブタジエン・ベンゼン・トルエン・キシレンといった基礎化学品が生成されます。これらは加工され、プラスチック・合成繊維・合成ゴム・塗料・医薬品・農薬・半導体材料など、現代産業のほぼあらゆる分野をカバーする素材となります。

日本はナフサの約6割を輸入しており、その輸入分の約7割が中東産です。国内産を合わせた全体では、中東依存度は約4割となります。原油については約250日分の国家備蓄があり精製すればナフサも生成されますが、ナフサとしての在庫は国内で約20日分にとどまり、備蓄のバッファーが原油に比べて著しく薄い点が急所です。

出光興産は3月6日、山口県(徳山事業所)と千葉県のエチレン生産設備について「封鎖が長期化すれば停止する可能性がある」と取引先に通知しました。三菱ケミカルグループも同日、茨城県・鹿島コンビナートのエチレン生産設備の稼働率を低下させる措置を取っています。さらに三井化学も千葉県と大阪府にある2基の生産設備で同様の対応に踏み切りました。エチレン生産設備は一度停止すると再運転に時間とコストがかかるため、稼働率を絞りながら設備を維持するという判断です。また、アクリル系素材の原料調達先であるシンガポール企業がフォースマジュール(不可抗力条項)を宣言するなど、影響は海外サプライヤーにも及んでいます。

アジアのナフサ指標価格は3月11日時点で1トン856ドルを付け、上昇圧力が顕著になっています。この価格高騰が合成樹脂の値上がりに波及すれば、プラスチック製品を使うあらゆる製造業のコスト構造が悪化するでしょう。

3. 石油化学から川下産業へ——連産品構造が引き起こす連鎖的影響

石油化学産業の最大の特徴は「連産品」構造にあります。ナフサ分解炉を動かすと、エチレン・プロピレン・ブタジエン・BTX(ベンゼン・トルエン・キシレン)が同時に生産されます。1つの工程の変化が、下流にある複数の製品ライン全体を一斉に揺るがす構造です。

エチレン系列では、ポリエチレン・PVC・ポリスチレン等が生成され、フィルム・包装材・建材・パイプとして食品・建設・農業用途に広く使われます。エチレン減産は数週間以内にこれら汎用樹脂の供給不足と価格高騰を招きます。プロピレン系列では、ポリプロピレン(PP)が自動車の内外装部品・家電ケーシング・医療器具などに使われます。日本の自動車メーカーは世界でも上位のPP消費国であり、ここへの影響は自動車生産に直結します。ブタジエン系列では、合成ゴム(SBR・BR等)がタイヤ・防振ゴム・ホースの原料となり、自動車産業のサプライチェーンを支えています。BTX系列では、ベンゼン由来のスチレン・フェノールや、キシレン由来のテレフタル酸(PETボトル・ポリエステル繊維の原料)が生産され、アパレル・飲料・電子部品と広く接点を持ちます。さらにベンゼン由来の中間品からは、半導体の感光材・電池の電解質・医薬品中間体・農薬原体など、高付加価値な機能性化学品が多数派生します。日本の化学企業は世界シェア60%以上を持つ機能性材料を70種類超保有しており、これらの生産基盤がナフサ調達の途絶で揺らぐリスクがあります。

4. 自動車産業——エネルギーコストとサプライチェーンの二重打撃

日本の自動車産業はホルムズ海峡封鎖から二重の打撃を受けます。第一はエネルギーコストの急騰です。製鉄・アルミ溶解・塗装・プレス加工など自動車生産の各工程はエネルギー多消費型であり、電力・ガス料金の上昇は製造原価を直接押し上げます。第二は素材・部品調達の寸断です。前述の樹脂や合成ゴムに加え、塗料(キシレン系溶剤)・接着剤・シール材・電線被覆(PVC)まで、1台の自動車には石油化学由来の素材が数百点以上組み込まれています。影響が数週間続けば自動車産業で生産停止を招く恐れがあるとも指摘されています。

5. 構造的な脆弱性と今後の課題

今回の危機が示したのは、日本の製造業が「エネルギーの中東依存」と「化学原料の中東依存」という二重構造の脆弱性を抱えているという事実です。原油・LNGの備蓄議論は長年積み重ねられてきましたが、ナフサの在庫がわずか20日分しかないという点は、産業界でも十分に認識されてきませんでした。石油化学のサプライチェーンが止まれば、エネルギー調達の問題とは独立した次元で、日本の製造業全体が素材欠乏に陥ります。

対策として最も直接的なのはエネルギー調達先の地理的分散です。2025年には米国からの原油輸入が前年比2.8倍に増加するなど、脱中東の動きは実際に進んでいます。しかし供給量・価格・輸送コストの観点から、中東原油を完全に代替することは現実的ではありません。LNGについても、日本はオーストラリア・マレーシアから大部分を調達していますが、カタール産LNGが世界市場から消えれば、スポット価格の急騰を通じて間接的な打撃は免れません。再生可能エネルギーの拡大は長期的な答えになりえますが、製造業の電力需要を賄えるだけの供給力と安定性を確保するには、まだ長い時間を要します。今回のような急性ショックには間に合わないのが現実です。

また、石油化学産業のナフサ依存を減らすために、バイオエタノール由来の化学品製造や廃プラスチックのケミカルリサイクル(廃プラ→ナフサ再生)への移行が議論されています。欧米では再生可能エネルギーを分解炉の熱源に使う「電熱化」も進みつつあります。しかしこれらはいずれも大規模な設備投資と技術実装を要し、2026年時点ではまだ補完的な位置づけにとどまります。危機への即応手段にはなりえず、あくまでも中長期の構造転換として位置づけるべきです。

こうした状況のもと、どのような課題に取り組む必要があるでしょうか?

①戦略備蓄の見直し——ナフサ・化学品への拡張
原油の国家備蓄(約250日分)は充実していますが、ナフサ等の石油化学原料には同等の備蓄体制が存在しません。今回の危機を機に、政府・業界が連携してナフサ・主要化学品の戦略備蓄を拡充する制度設計を検討する必要があります。コンビナートの立地・貯蔵能力・資金負担の枠組みを含めた議論が急がれます。

②サプライチェーンの「冗長性」設計——ジャスト・イン・タイムの限界
日本の製造業が誇るジャスト・イン・タイム(JIT)方式は、在庫を極限まで絞り込むことで効率を最大化してきました。しかし今回の封鎖が示したように、地政学リスクが顕在化した瞬間に、薄い在庫バッファーは脆弱性に転じます。新型コロナウイルスによるサプライチェーン混乱でも同様の教訓を得たはずが、コスト優先の論理がJITへの回帰を促してきました。今後は一定の「冗長性」——複数調達先の確保、安全在庫の積み増し、国内代替生産能力の維持——を意識的に設計に組み込む発想が求められます。

③地政学リスク管理の高度化
今回の危機は突発的ではありましたが、ホルムズ海峡が「いつか機能不全に陥りうる」という警告は長年にわたって繰り返されてきました。製造業各社が個社レベルでリスク管理を高度化するとともに、政府には業種横断的な緊急時対応プロトコル——調達先転換支援・備蓄放出の判断基準・価格高騰時の中小企業支援——を平時から整備しておくことが不可欠です。地政学リスクはもはや「例外事象」ではなく、経営戦略に組み込むべき「定常的な変数」として扱う必要があります。

6. おわりに——効率からレジリエンスへ

ホルムズ海峡封鎖が示したのは、日本の製造業が抱えるリスクの多くが、平時には数字の奥に隠れているという現実です。エネルギーだけでなく化学原料の調達も中東に大きく依存し、その途絶が石油化学から川下産業へと連鎖的に波及する構造は、今回初めて広く可視化されました。戦略備蓄の拡充やサプライチェーンの冗長化は急務ですが、より根本的には、効率重視で設計されてきた産業構造を、地政学リスクを織り込んだ形、よりレジリエントな形へと再設計する時代に入ったといえるでしょう。官民を挙げたサプライチェーンの強靭化が急がれます。

(根来 諭)
March 11, 2026


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