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ロシアと欧州の間に位置し、日本の本州より少し小さい国土に約1000万人が住む国、ベラルーシ。
この国がいま大きく揺れています。

旧ソビエト連邦構成国であるベラルーシは、1994年に初当選以来、アレクサンドル・ルカシェンコ大統領が強権的な手法で国を統治してきました。そして今年8月9日の大統領選挙では、反体制派の女性候補チハノフスカヤ氏が支持を集めたものの、中央選挙管理委員会は実に約80%の得票率でルカシェンコが6選を決めたと発表。この選挙結果に疑義を抱いた民衆が今に至るまで、時に参加者が数十万人を超える大規模なデモを繰り広げています

ルカシェンコ大統領側は当然不正を否定。欧米諸国がベラルーシの内政に干渉しているとして批判しつつ、デモ参加者を拘束したり、野党指導者を強制的に国外追放しようとするなど、国際的な批判を浴びながらも一歩も引かない構えを見せています。

ベラルーシという国

日本であまりなじみのない、ベラルーシ。いったいどのような国なのでしょうか。

国土は海に面しない内陸国で、最高地点は標高345メートルと平坦。川が多く湿地帯の宝庫であり、気候は寒冷。西ヨーロッパとモスクワを結ぶ東西の街道と、バルト海と黒海をつなぐ水運が交わる交通の要衝に位置することから、その歴史の中で様々な勢力の支配下に入ることとなりました。そのたびに政治的境界線が何度も引き直され、支配的文化が何度も変わってきたことが現在のベラルーシを形作っていると言えます。

実際、ベラルーシ人による国、という国民国家としてのアイデンティティや国境線が確立したのはソビエト連邦の崩壊を機とします。

簡単に歴史を振り返ると、9世紀にキエフ大公国の一部であった「ポロツク公国」がベラルーシの始まりとされ、バルト海と黒海を結ぶ通商路として繁栄。その後はモンゴルによる征服を受けるものの、13世紀までにはリトアニア大公国に併合されます。その後、ポーランド・リトアニア共和国が成立すると、文化のポーランド化そして宗教的にも東方正教会からローマ・カトリック化が進むことになります。

その後、ロシア帝国の支配下に入り、1917年のロシア革命を経て1918年には史上初の独立国となる「ベラルーシ人民共和国」が樹立、1922年にはソ連(ソビエト社会主義共和国連邦)に加盟。第二次世界大戦ではナチス・ドイツの占領を受け、国民の1/4、国富の半分が失われたと言われるほどの痛手を負いました。戦後は急速な都市化・工業化を達成、「ソ連の組立工場」としての地位を確立しました。ソ連の崩壊とともに1991年に正式に独立する運びとなり、現在の「ベラルーシ共和国」が成立します。

周辺国と比して天然資源には恵まれず、エネルギーの自給率は1割程度。天然ガスは全面的に、石油の大部分をロシアからの供給に依存していることが経済面での特徴となります。現在では、ロシアから輸入した原油を加工して輸出するビジネスが重要性を増しています。


言語は、ベラルーシ語とロシア語が国家語として憲法に規定されているものの、最も一般的に使用されるのはロシア語で、約7割の人が家庭内でロシア語を使用しています。ベラルーシ語はロシア語に近い言語ですが、現在でもその語彙はポーランド語に近く、ここにも支配勢力が変遷してきた歴史が伺えます。

食文化としては、その肥沃とは言えない土地と寒冷な気候から、ジャガイモの生産と消費が盛んで、ジャガイモの年間消費量は一人あたり約180キログラムと世界一を誇ります。「ドラニキ」と呼ばれるジャガイモのパンケーキが、ベラルーシ料理の代名詞であり、国民食となっています。

なぜ今回これほど大規模のデモに発展したか

そんなベラルーシを、1994年の初当選以来、率いてきたのがアレクサンドル・ルカシェンコ大統領です。自国アイスホッケーチームの応援で長野の冬季五輪に突然来日したり、新型コロナウイルスについては「ウオッカを飲めば消毒できる」などと非科学的な言動を繰り広げたりと、予想のつかない人物として認識されていますが、2001年・2006年・2010年・2015年の選挙で勝ち(不正があったかは別として)、権力の座にあり続けています。ソ連崩壊直後、周辺国で経済的混乱や政変が続く中、ルカシェンコ政権は社会主義型の経済や社会保障を維持。それを支持した国民はルカシェンコを親しみと畏敬の念を込めて「バチカ(おやじさん)」と呼んできました。これまでも政敵を弾圧し、選挙のたびに不正を指摘されながらも、ルカシェンコ氏が長期政権を築けたのは、国民の間で根強い支持があったからです。

しかし今回これだけ大きなデモが発生し、長く続いているのには理由があります。ひとつは、インターネットの発達によって欧米の自由な文化に触れた若い世代を中心に、その強権的かつ閉鎖的な国家体制に対する不満が高まったこと。今回のデモの呼びかけでは、暗号化メッセージングアプリの「Signal(シグナル)」が広く使われ、旧来の言論統制では若者を押さえつけることが難しくなっていることが伺えます。そしてもうひとつの理由は、急激な変化を嫌う統治手法の下で、特にここ数年、経済が停滞していることが挙げられます。

ソ連時代に遡ると、他の構成国との分業体制の中で、ベラルーシは天然ガスや原油などの原材料をロシアから入手し、機械や消費財等をロシア含む他国に供給することが経済の根幹だったこともあり、いまでも製造業は盛ん。2000年代に入ると経済成長は加速したものの、自助努力というよりは石油高に沸くロシア経済のおこぼれにあずかっている側面が強かったと言えます。特に、前述したようにロシアから輸入した原油を加工して輸出するビジネスが成長の柱でしたが、これは石油の価格が下がるとベラルーシには二重のショックが生じることを意味します。

① 原油価格下落→自国の石油加工業がもたらす外貨収入の低下
② 原油価格下落→ロシア経済への打撃→ロシアへの輸出低下&出稼ぎ収入低下

下記は原油価格とベラルーシの経済成長率を重ねたグラフとなりますが、近年の石油価格の下落がベラルーシ経済に大きな影響を与えていることがわかります。ちなみに、2020年のGDPの予測値は、新型コロナウイルスの影響もあり、4%減となっています。

ロシアと欧州のはざまで

経済的にロシアとの結びつきが強いベラルーシですが、そもそも同じ東スラブ系の民族で、言語・宗教・文化面での共通面が多く、ベラルーシ人のロシアへの態度は友好的と言えます。ルカシェンコ大統領は、こうした国民感情に合致する形で親ロシア政策を推し進め、ロシア語をベラルーシ語と同格の国家語に押し上げ、また当初は国家統合に向けた動きも見られました。

しかし、その後ロシアの国益を精力的に追求するウラジミール・プーチンが権力を掌握すると、ロシアから一方的に経済的便益を引き出すことは難しくなり、また、逆にルカシェンコの政権基盤がとりくずされるおそれも出たことから関係が悪化。2006年には天然ガスの価格引き上げを巡って激しい対立が起きましたが、2010年12月のベラルーシ大統領選ではルカシェンコ政権が欧米に近づく動きを見せたことからロシアも歩み寄りを見せました。

一方、欧州との関係に目を転じると、「非民主的な」国家であるベラルーシに対してEUは冷遇政策をとってきたと言えますが、2008年にウクライナ、ベラルーシ、モルドバ、アゼルバイジャン、アルメニア、ジョージアという旧ソ連6か国を対象として協力枠組み「東方パートナーシップ」を打ち出したことで、EUからの歩み寄りがありました。経済面では着々とEUとの取引を拡大させており、2015年時点で、輸出の32.2%がEU向け、輸入の19.2%がEUからとなっています。近年のベラルーシの輸出の稼ぎ頭となっている石油加工業についても、ロシアから原油を輸入し、それを石油製品に加工してEU市場に輸出する図式があります。

剛腕のルカシェンコ大統領がその権力を維持するために、ロシアと欧州を天秤にかけてうまく立ち回ってきたと評価することもできます。そしてその事が、大国ロシアに飲み込まれるのを阻む防波堤になっている事実も否めません。もしも今回のデモが奏功し、ルカシェンコ大統領が権力の座から降りるようなことになると、ロシアや欧州との関係が一気に不安定化し、地域のパワーバランスが大きく崩れる可能性があります。デモの行方を見守りたいと思います。

(SN)
September 16, 2020


参考情報

ベラルーシを知るための50章 (エリア・スタディーズ158)
https://www.amazon.co.jp/dp/4750345490

World Bank、Organization of the Petroleum Exporting Countries
http://www.opec.org/opec_web/en/data_graphs/40.htm

IMF – World Economic Outlook Databases
https://www.imf.org/en/Publications/SPROLLS/world-economic-outlook-databases/

ベラルーシ独裁の終わりの始まり──新型コロナがもたらす革命の機運(Newsweek)
https://news.yahoo.co.jp/articles/9f554745da7feaee46a781937e121c4f589cad67?page=1

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