戦争とナラティブ――偽情報とAIが変える情報空間を考える(上)
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スペクティでSNS分析に携わる筆者は、今年6月にリトアニアの首都ヴィリニュスで開催された国際会議「GlobalFact 2026」に参加しました。世界各国で活動するファクトチェック団体のメンバーやジャーナリストなど約300人が一堂に会し、4日間にわたってロシアによる影響工作や生成AIの氾濫にどう対峙するか、そしてファクトチェックが直面する現状と課題について活発な議論が交わされました。本レポートでは今回から3回にわたり、この会議で交わされた議論などを紹介します。
政府高官が語る「認知戦」最前線の国、リトアニア
まず、リトアニアという国について簡単に説明したいと思います。首都ヴィリニュスからわずか南東40キロほどの距離で、ロシアと密接な関係にあるベラルーシと国境を接し、南西300キロにはロシアの飛び地カリーニングラードとも国境を接しています。ウクライナのドローンがリトアニア領内に墜落するなど、ロシア・ウクライナ戦争による直接的な影響も出ており、地政学的にきわめて緊張の高い国といえるでしょう。
筆者にとって今回が初めてのリトアニア訪問でしたが、まず驚かされたのは、街中の政府機関などには自国旗と欧州連合旗に並び、ウクライナ国旗も掲揚されていたことです。民間のアパートのベランダにも同国旗が翻っている光景を幾度となく目にしました。ウクライナへの連帯は、この国では日常の風景として根付いているのです。
前述したように、今年3月にはウクライナのドローンがリトアニア領内に墜落したというニュースがありました。ウクライナがロシア・レニングラード州の石油ターミナルを攻撃した際、コースを外れたドローンがベラルーシ国境付近のリトアニア領内に墜落したというものです。これはロシアの電子妨害(ジャミング)によってコースを逸らされ、墜落したと推定されています。一方で、ロシア側は「バルト3国がウクライナによるロシア攻撃のため、意図的に領空を開放した」という偽情報を流し、ロシア外務省は、バルト3国に対して「警告」を発する声明まで出しています。こうしたことを踏まえれば、ロシアによる影響工作の深刻さもある程度は想像がついていましたが、実際に現地に立ち、政府高官による発言を聞くと、その深刻さをあらためて実感させられました。
基調講演では、リトアニアのカウナス国防相が「我々は今や『認知戦』を、陸・海・空・宇宙・サイバー空間と並ぶ現実の紛争領域として捉えている」と述べ、「敵の目的はもはや、一つの嘘を植え付けることではない。我々の意思決定を凍結させ、パニックと怒りを引き起こし、自由社会を支える真実そのものを破壊することにある」と語りました。
さらにカウナス氏は、ロシアによる偽情報拡散の実例として、次のような事例を紹介しました。今年3月末、TikTok上に「クライペダ人民共和国」を名乗るアカウントが開設され、「クライペダをロシアに取り戻そう」といったスローガンを掲げる動画が投稿され始めたのです。旧ドイツ領だったこの街は、現在ではリトアニアの主要港湾都市であり、LNGターミナルを擁しています。このターミナルのおかげで、リトアニアはロシア産ガスへの依存を完全に断ち切ることができました。
カウナス氏によれば、このような主張はアジアやアフリカを拠点とする偽アカウント群によって拡散され、「クレムリンの主張があらゆる形で流し込まれた」といいます。興味深いのは、フォロワーわずか60人という規模のアカウントに、リトアニアの当局が本気で反応したという事実です。存在しない分離主義運動に、当局がすぐさま「クレムリンの仕業である」と見抜けたのは、同様の手口をすでに目にしてきたからにほかなりません。
さらに、こうした偽情報拡散への警戒は、参加者が自国の歴史を語る言葉遣いにも表れているように筆者には感じました。今回の会議において、当地のジャーナリストが、かつてのソ連支配下にあった時代を説明する際には「共産主義に支配されていた暗黒時代には〜」というような言い回しを使用するのをよく耳にしました。こうした表現が自然に使われることに当初は驚きましたが、考えてみれば、これは単純に反ソ、反ロ感情が現れているというだけではありません。バルト3国や東欧においては、歴史をどう語るかという行為そのものが、現在も進行形の「防衛」行為なのだという点に気づかされました。
「KGB博物館」が映す、歴史認識とナラティブ
筆者は会議の合間をぬって、ヴィリニュスにある通称「KGB博物館」を訪問しました。正式には「占領と自由闘士の博物館」という名称で、リトアニアの旧KGB本部の建物をそのまま利用し、主にソ連占領期にリトアニア人がどのように弾圧・処刑・追放されたかを詳細に展示しています。
同時にこの博物館は、歴史認識をめぐって長年論争の的にもなっています。この博物館はかつて「ジェノサイド犠牲者博物館」という名称を掲げていましたが、そこでいう「ジェノサイド」とは、もっぱらソ連による弾圧を指すもので、ホロコーストに関する展示はほとんど存在しませんでした。ホロコースト関連の展示室が初めて設けられたのは2011年、博物館開設から実に19年後のことです。
リトアニアは戦前「北のエルサレム」と称されるほどユダヤ文化の中心地でしたが、ホロコーストによってユダヤ人人口の9割以上が殺害されました。これは欧州全体で見ても最も高い割合とされます。そしてその実行者は、ナチス・ドイツだけではありません。1941年6月、ナチスがソ連領に侵攻すると、各地でリトアニア人自身による自発的なユダヤ人虐殺(ポグロム)が起きています。当時の首都カウナスでは数日間のうちに数千人のユダヤ人が地元住民によって殺害され、各地のユダヤ人ゲットーの運営や虐殺の実行にもリトアニア人部隊が加わっていました。この博物館の展示は長年、こうした自国民の加担についてほとんど触れず、加害者はナチス・ドイツのみであるという一面的なナラティブとして描いてきたのです。
この偏りは単なる展示の不備ではなく、この国が抱える歴史認識の構造そのものを映し出しているように思えます。リトアニアでは2010年、憲法裁判所がナチスによるホロコーストとソ連による弾圧をともに「ジェノサイド」として扱う判断を下し、これに基づいて双方の否定を処罰する刑法規定が設けられました。この規定に触れる言動は最大2年の禁固刑に処される可能性があります。複数の歴史家は、この「ダブル・ジェノサイド」と呼ばれる枠組みの背景には、ソ連占領下でユダヤ人の一部が共産主義体制に協力したという事実を利用し、リトアニア人によるホロコーストへの加担を相対化しようとする意図があるとして批判しています。
今回のGlobalFact 2026では、先述したクライペダの帰属をめぐるロシアの偽情報拡散などが報告されました。こうした主張自体は根拠のないプロパガンダに過ぎません。ただし視点を広げてみると、そこには皮肉な構図が浮かび上がってきます。バルト3国の亡命者やレジスタンスを「ナチス協力者」と決めつけるソ連時代からの手法を土台に、ロシアは、現代でもバルト3国を同じように描くナラティブを利用し続けています。一方でリトアニア自身もまた、「ソ連こそが敵だった」というナラティブを強く打ち出すあまり、自国の歴史に残る影の部分から目を逸らしてきた側面があるのです。ロシアが振りかざす偽情報と、それへの反発から強められていく自国の歴史修正は、互いを補強し合う関係にあるようにも見えます。これはもちろん国家間の攻防であると同時に、一国が自らの過去とどう向き合うかという内側の問題でもある。この博物館を歩きながら、そのことを強く考えさせられました。
現在はホロコーストの歴史を伝える展示も設けられている(下)
“構造”をたどるジャーナリストたち
今回の会議の目玉の一つは、「How to Investigate Russia?(いかにしてロシアを調査するか)」と題されたパネル討論でした。バルト3国や東欧の調査報道記者6人が登壇し、ロシアの影響工作を暴いてきた具体的な手法と成果を証言しました。以下に、特に印象的だった3人の活動を紹介します。登壇したジャーナリストたちの話に共通していたのは、目の前の出来事を単発、単独で報じるのではなく、複数の報道機関と国際的に連携し、その背後にある構造をたどろうとする姿勢でした。
ウクライナの調査報道ユニット「Schemes」を率いるAnna Myroniuk氏は、戦場で回収した催涙ガス手榴弾を研究所に持ち込み、成分を分析し、刻印から製造工場を特定し、制裁を回避した部品調達ルートをたどるという調査を紹介しました。この調査はのちに、EUによる対ロシア制裁の根拠資料としても採用されています。
また、彼女はウクライナに拠点を置きながら、他国の人物・事象にも目を向けています。ラトビアに住むロシア人歴史家が、ロシア政府系財団「Pravfond」から資金提供を受けながら「独立した研究者」を名乗って活動していた実態を、現地の報道機関と連携して暴き、この人物は最終的にラトビアへの無期限入国禁止処分を受けました。「私たちはロシアという国そのものを変えることはできない。しかし、ロシアに対する各国社会の認識を変えることはできる」というMyroniuk氏の発言が、筆者には強く心に残りました。
モルドバ、EU統合住民投票可決の0.78ポイント差が意味するもの
ウクライナの隣国、モルドバの調査報道記者Natalia Zaharescu氏は、2022年以降、複数回にわたって親ロシア組織に潜入取材をしました。最初は抗議活動に参加し、2時間の参加で20ユーロの現金が支払われる末端の現場を確認します。モルドバでは2024年にEU統合をめぐる住民投票が行われますが、彼女はその前段階として投票介入の実行組織に潜入し、ロシア国防省傘下の銀行から月給という形で報酬が振り込まれる実態を明らかにしました。警察はのちに、この組織に約14万人が関与し、総額3900万ドルが動いたと発表しています。
この住民投票自体は、わずか0.78ポイント差、約1万2000票という僅差で可決されました。実際、モルドバ国内在住者だけの票では反対が上回っており、最終的に賛成へと押し上げたのは海外に住むモルドバ人の票でした。Zaharescu氏は「調査報道がなければ、あの住民投票の結果は違っていたかもしれない」と語りました。
この数字の僅差は、調査報道の意義を測る一つの物差しになるでしょう。もし彼女の潜入取材がなく、組織的な買収の実態が報じられていなければ、有権者の判断材料は変わり、結果は逆転していたかもしれません。ジャーナリズムが選挙結果を「作る」わけではありませんが、有権者が事実に基づいて判断する条件を整えることはできる。0.78ポイントという数字は、その条件がどれほど脆く、また同時にどれほど重要かを物語っています。
取材の「一貫性」という武器
リトアニアで調査報道にあたるJurgita Čeponyté氏が重視したのは「一貫性」でした。個々の事件を追うのではなく、同一人物・同一組織を年単位で追い続けるという手法です。「家族の価値観を守る」という一見無害な社会運動に集まっていた人々が、コロナ・ワクチン反対運動を経て、議会前のテント村に繰り返し姿を現し、数年後には、前述したロシア政府系財団Pravfondへの資金申請書類に同じ名前で登場していたことを突き止めました。
同様に、リトアニアの記者が先行して報じた、ドイツの極右政党AfD幹部とロシア関係者が会合を開いたという記事は、数年後にドイツの記者による「AfDへのロシアからの資金提供」の証明へとつながりました。Čeponyté氏は「点と点がつながる瞬間を逃さないためには、継続的な記録と、国境を越えたジャーナリスト同士の連携が不可欠だ」と語りました。
AIという新しい“戦場”
こうして人物や組織を地道に追い続ける調査報道は、AIそのものを標的にし始めた新しい脅威とも無縁ではありません。ロシアは近年、人間の読者に向けた偽情報だけでなく、AIそのものを標的にし始めています。たとえば、「プラウダ」と名付けられた偽情報サイト群は、月間訪問者が1000人にも満たないにもかかわらず、200以上のドメインを使って年間360万本以上の記事を機械的に生成し続けています。狙いは人間に読ませることではなく、検索エンジンで上位表示させ、大規模言語モデルの学習データに紛れ込ませることです。
実際、主要なチャットボットの回答を調査したところ、これらのサイトが発信した虚偽の主張を3割以上の確率で繰り返してしまうことが確認されています。ここで注目したいのは、この手口が人間の目を欺くファクトチェック対策の裏をかいている点です。人間の記者が偽サイトを見れば違和感に気づけますが、AIは大量のテキストの中から統計的なパターンを学ぶだけで、その情報がどこから来たかを疑いません。学習データという見えない領域に潜り込まれてしまえば、記者が何年もかけて追い続けてきた「点と点をつなぐ」作業そのものが、AIの回答という新しい入り口から迂回されてしまう恐れがあります。
手榴弾の製造元をたどるのも、送金の流れをたどるのも、活動家の名簿をたどるのも、根本にあるのは同じ発想です。表面に出ている一つの事象だけを見るのではなく、それがどこから来てどこに向かっているのかを追うこと。今回紹介した3人の記者はそれぞれ異なる国で異なる対象を追っていましたが、たどり着いた場所はよく似ていました。そして今、彼らが積み上げてきた手法そのものが、AIという新しい“戦場”でどこまで通用するのかが問われ始めています。次回は、このAIについて議論された内容を紹介します。
(大久保 陽一)
August 26, 2026
信頼できる危機管理情報サービスとして続々導入決定!
スペクティが提供するAI防災危機管理情報サービス『Spectee Pro』(https://spectee.co.jp/feature/)は、多くの官公庁・自治体、民間企業、報道機関で活用されており、抜群の速報性・正確性・網羅性で、危機発生時の被害状況などをどこよりも速く、正確に把握することが可能です。
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